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出張経費は当時でも一人当たり5000ドルから1万ドルはかかったはずである。
年功思想をアメリカに入れたS一方、Sもまた、業界で初めてアメリカでテレビの現地生産を始めた企業であった。
しかしSのサンディエゴエ場では、Hとはいささか違う光景が見られた。
1972年、カラーテレビの生産を開始したこの工場では、テレビの製造・組み立て作業に経験のない人間を優先して採用した。
日本型の工場運営には、下手にアメリカ型のワーカー経験がない方が扱いやすいという計算だったろう。
この方針はある程度は成功した。
しかし、増産体制がとられるに従いラインのトラブルも多くなった。
その大半は、ワーカーの作業上でのミスや集中力欠如から発生していた。
品質を維持するには従業員のモラルを高めねばならない。
Sは賃金でモラルをコントロールできると考えた。
当初は、仕事の方である。
Hのやっていることはドブに金を捨てるだけだといった冷ややかな見方が多かった。
しかし、派遣されたアメリカ人たちは、Hのスピリッツに応えていった。
彼らは、オハイオに戻ってからは、自分の修得した技能を後輩のアソシエート達に教えていった。
オハイオは日本の製作所と同じ文化を共有していったのである。
グローバリズムとは、どの国が起源であろうと普遍的価値のあるものなら世界中に伝播するという信念のことである。
まさしくアメリカ人の発想と酷似したものを無自覚のうちにS氏は持っていた。
HS氏が、日本人で最初にアメリカの自動車殿堂入りを果たしたのは、このことを象徴していると言えるだろう。
しかし、アメリカ人ワーカー達は、同じラインの中で、割の良い工程を担当したがった。
全体としてのライン効率の改善などは意識にも上らない。
良品率など問題外であった。
やむなくSは、ライン上の同じ仕事を担当していても、就業年数に応じて昇給するようにせざるを得なくなった。
Sは、アメリカの工場に年功序列を持ち込んだことになる。
このHとSの海外生産に向かう姿勢の差は、モノづくりの現場に対する価値観の違いというしかない。
Hにとって工場は命であったが、Sの場合は、厚木工場における「原罪」に見られるように、研究開発こそ命であって、生産はどこかに請負わせてもいいものであった。
難易度に応じて賃金テーブルが作られた。
彼らの向上心に訴えてモチベーションを高めようとしたのである。
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